【世界遺産30-2】古都京都の文化財2(京都府・滋賀県)

世界遺産、全部行ったら海賊王!

古都京都の文化財(Historic Monuments of Ancient Kyoto)
1994年登録

2018年9月15~16日

古都京都の文化財巡り 2日目の続き

さて、東寺(教王護国寺)の後は、いろいろ考えて「西芳寺」に行くことにしました。
どこから行けば効率がいいかを常に考えて動いています。

5.西芳寺

西芳寺…ここが今回唯一行けなかった場所です。いや行きましたが入れなかったのです。
なぜかというと完全予約制、しかも予約の取り方は、なんと「往復はがき」!

西芳寺に着く前に、近くの「鈴虫寺」の駐車場に間違えて入った時に、警備員に教えてもらいました。そしてさらに参拝料が、この京都の世界遺産の寺社の中でも最も高額なようです。

行けないのは仕方がないので、また次回にしましょう。西芳寺には再訪します。

さて、京都を車で移動していますが、さほど人も多くなく、意外な感じがしていました。しかし、たまたまそういう所ばかり行っていたようで、次に行った「嵐山」はかなりお店も人も多く、人力車も結構いて、賑わった観光地でした。

6.天龍寺

天龍寺は、室町幕府の祖、足利尊氏を開基、夢窓疎石を開山として開かれ、後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応2年(1339)に創建されました。臨済宗天龍寺派の大本山です。

後醍醐天皇と言えば、鎌倉幕府が滅び、南北朝時代という二人の天皇がいた時代の天皇(南朝側)です。結構この時代の歴史はややこしいのであまりわかりませんし、大河ドラマでも扱われていないようです。

なお、この寺の造営費用が足りず、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開し、その利益を造営費用に充てることを計画。これが「天龍寺船」の始まりです。

法堂(元治元年(1864)に焼失。明治時代に、江戸後期建立の「雲居庵禅堂(選佛場)」を移築し、禅宗七堂伽藍の一つとした。)

庫裏(くり)1899年建立
ここから本堂を参拝し、曹源池庭園を見ることができます。庭園を歩く場合は、参拝コースに行けばいいです。本堂内には、曽我蕭白の「雲龍図」の高精細複製品が飾ってあります(本物はボストン美術館)。

方丈…大方丈(1899年)と小方丈(書院・1924年)があり、大方丈は天龍寺最大の建物。正面と背面に幅広い広縁をもち、さらにその外に落縁をめぐらせる。正面の「方丈」の扁額は、関牧翁老師(天龍寺第八代管長)の筆。

曹源池庭園(国の史跡・特別名勝第一号)
約700年前の夢窓国師作庭当時の面影を残しており、日本初の史跡・特別名勝指定。天龍寺の最高の見所です。

左手に嵐山、正面に亀山・小倉山、右手遠景に愛宕山を借景にした池泉回遊式庭園です。
大和絵風の伝統文化と、宗元画風の禅文化とが巧みに融合した美しい庭園です。

奥まで歩くと、竹林や硯石を見ることができます。

多宝殿(昭和9(1934)年建築)
後醍醐天皇聖廟多寶殿は、創建以来8回の火災に遭い、現在のものは1934年に完成。後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式と伝えられており、中央に後醍醐天皇像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られています。

さて、2日が過ぎましたが、まだ5件しか行ってません。西芳寺は行けないのではずしても、残り11件あります。残り2日半しかないので、明日は一日で5件くらい行かないと厳しい状況です。

残り全て行くために最良の行き方シュミレーションを宿にて行いました。

3日目

ようやくこの日晴れました。天気予報でわかっていたので、金閣寺は開場の9時に行きます。しかし、その前に近くの龍安寺が8時開場だったので、龍安寺→金閣寺の流れになりました。

7.龍安寺(りょうあんじ)

予定通り朝8時に到着。ここの見所は「枯山水」です。

大雲山龍安寺…「りょう」あんじと読むのは、坂本龍馬と同じです。元は徳大寺家の別荘を1450年に細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたもの。

石庭

室町時代末期頃に作庭されたと伝えられているようです。東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配しています。

心が落ち着くのか、珍しいのか、多くの人々が座って眺めたり、写真を撮っていました。

禅の格言、吾唯足知(われただたるをしる)の蹲(つくばい)と侘助椿。
水戸光圀の寄進と言われているようです。

方丈(1797年に火災で焼失したので、西源院の方丈を移築)

鏡容池

龍安寺の次は金閣寺です。車で5分程の移動です。金閣寺に着いた時には、すでに入口に大行列が…そうかこの日は日曜日だった。

8.金閣寺(臨済宗相国寺派 鹿苑寺)

京都入りして3日目、ようやく晴れました。9時開場と共に、何百人もの人が一斉に金閣寺の撮影に…

鹿苑寺舎利殿(元国宝・1955年再建)

一層は寝殿造で法水院(ほっすいいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)、三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代を代表する建造物です。

この金閣寺の天辺の鳳凰が、手塚治虫作「火の鳥」のモデルだそうです。そういえば似てるような…

夕佳亭(せっかてい)
江戸時代の茶道家・金森宗和が好んだ数寄屋造りの茶席。夕日に映える金閣が殊に佳い(ことによろしい)ということで、「夕佳亭」だそうです。

銀河泉
足利義満がお茶の水に使ったと伝えられています。

この京都の旅では、金閣寺が最も観光客の多い場所でした。次から次へ団体客や修学旅行生がぞろぞろぞろぞろ…

9.二条城

次は、金閣寺から約5kmのところにある二条城へ。ようやく寺以外の場所が…しかし、ここも台風の影響をかなり受けていました。

東大手門(重要文化財・1662年)

唐門(重要文化財・2013年修復)

この唐門の雰囲気、どこかで見たことがあるような…と思ったら、「日光東照宮」によく似ています。

二の丸御殿(国宝・江戸時代初期)

金閣寺に次いで人が多かったのがこの二条城です。本丸、本丸庭園、二の丸庭園は入れませんでしたが、国宝の二の丸御殿だけはなんとか見ることができました。日曜日ということもあり、多くの人が観光に来ていました。

二の丸御殿は、全六棟の建物で構成され、江戸時代初期に完成した住宅様式「書院造」の代表例として、日本建築史上でも最重要な遺構です。

江戸城、大阪城、名古屋城の御殿が失われている今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されています。

「大政奉還」が行われた城として有名ですが、元々は、1603年、徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したものです。ここが江戸幕府の始まりと終わりの地とも言えます。

二の丸御殿内部は、様々な狩野派の障壁画(模写画)で装飾されており、ゆっくり見るとかなりの時間がかかります。二の丸庭園には入れませんでしたが、中から見ることはできました。庭園もさすが特別名勝、すばらしかったです。

台風被害のため、封鎖されています。ここは西芳寺に再訪する際、本丸御殿・庭園、二の丸庭園を再度見に来ましょう。

さて、これで9件です。ようやく半分というところです。この日は、午前中に3件行けたので、引き続きあと2件に行きました。

迷わず行けよ、行けばわかるさ、世界遺産

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