ローマ滞在時、最後に残った世界遺産「アウレリアヌスの城壁」は、1世紀後半に、ローマ皇帝「アウレリアヌス」と「プロブス」時代に建設された、ローマを囲む全周約19kmの城壁です。
世界遺産、全部行ったら海賊王!
2018年12月28~29日
7.アウレリアヌスの城壁(Mura aureliane)
ローマ滞在時に、世界遺産「ローマの歴史地区」の構成資産には、ほぼ行ったので、残りの3日間の予定を考えていました。
コロッセオのガイドツアーは、予約が取れずに断念。「ドムス・アウレア(皇帝ネロの黄金宮殿)」は、2018年12月30日までの公開でしたが、世界遺産ではないし、ネロってアホな皇帝だったらしいし…
【 2019年5月11日 AFPBBニュースより】
約2000年前に建てられたローマ皇帝ネロのドムス・アウレアで、修復作業中にきめ細かなフレスコ画で飾られた秘密の部屋が見つかったという大ニュースが!
https://www.afpbb.com/articles/-/3224521?cx_part=search
結局ドムス・アウレアには行かず…
ふと気づいたのが、「アウレリアヌスの城壁」は断片的にしか見ていないな、ということでした。
というわけで、城壁について調べていくと、かなりの部分が現存し、見どころとして多くの門があるということでした。外周は約19km。
クリスマスの日に、1日で25km歩いたので、19kmくらいなら歩いて行けるな、と。
ではそれで行こう。2日あれば行けるでしょう。
…こうして、城壁に沿って歩く「城壁way」が始まったのです。
271~275年、ローマ皇帝「アウレリアヌス」と「プロブス」時代に建設され、「7つの丘」やローマの中心地「カンプス・マルティウス」「トラステヴェレ地区」の13.7㎢を取り囲む全周約19kmの城壁です。
増えてきた異民族の侵略から、国家を守るために造られた防御壁で、壁は「ローマン・コンクリート」を煉瓦で覆う形で作られています。当時のローマでは最大の建設事業であり、わずか5年で完成したようですが、アウレリアヌス帝は完成前に亡くなったようです。
今回はかなりWikipediaの記事を参考にし、日本一わかりやすい城壁wayに。
アウレリアヌス帝の魂が宿る遺産を見て回りました。
城壁way
12月28日朝、チェックアウトして宿を移動。午後から城壁wayをスタート。
まずはスタート地点のポポロ広場へ。

スタート地点です。もともとは「フラミニア門」という名前だったようです。
現在のものは16世紀に建て替えられています。
このポポロ広場側のファサードは、「ベルニーニ」の作で、1655年に落成。

ポポロ門の反対側(市外側)です。こちらは「ミケランジェロ」作。
「ティトゥスの凱旋門(フォロ・ロマーノ)」から着想を得て、1562~65年にかけて製作。
正面の4組の円柱は、旧サン・ピエトロ大聖堂から移設されたもの。中央の大きなアーチ型通路と、両脇に2つのアーチ型通路がある形状で完成。
ポポロ門…いきなり超大物2人による作品でした。さて、ミケランジェロ作の側に出て右へ向かいます。
この先ムーロ・トルト通りは歩けないので、ボルゲーゼ公園、マルティ―リ広場へ。
マルティ―リ広場の橋を右に行くとヴィッラ・メディチへ行ってしまい遠回りなので、左の公園へ。
ポポロ門から歩くこと約1km。ピンチャーナ門へ着きます。

名前の由来は、ピンチョの丘から。5世紀初めに建てられたようですが、20世紀初頭まで閉鎖されていたようです。理由はわかりません。
このピンチャーナ門から、コルソ・ディタリア通りの途中までは、城壁沿いに行けます。
次の「ピア門」までは約1.3km。

ここはサラリア門( Porta Salaria )跡地。1921年に取り壊されています。

門ではありませんが、途中で天使のオベリスクに着きました。名前は、Colonna della Vittoria、「戦勝記念塔」のようです。

ピア門( Porta Pia )へ到着。写真は外側のファサードで、1869年に完成。
新古典主義の「ヴィルジニオ・ヴェスピニャーリ」の作品ですが、あまり有名人ではないような…。

こちらは、ピア門内側のファサード。全然違います。
もともとは使えなくなった「ノメンターナ門」の代わりに作られたようで、教皇ピウス4世が建設したため、ピア門です。
こちら側の作者は、またもやあの「ミケランジェロ」。あちこちで仕事しています。ここは1565年に完成。

この場所が、その使えなくなった「ノメンターナ門跡地」。ピア門ができた後に塞がれたのでしょう。
次の「プラエトリアーナ門」も閉鎖されています。
門が出来たり閉鎖されたり…アウレリアヌスの城壁は、1700年以上も前からの壮大な歴史で出来ているのです。
そのまま城壁沿いに進み、途中で右に曲がってまっすぐ進みます。
しかし、次の「ティブルティナ門」まであと1kmのところで、城壁は図書館の敷地内へ入ってしまい、いったん500m程切れます

地図で調べながら進んでいくと、プレトリアノ通りから城壁が復活し、空軍基地の外壁になっています。
この辺りは、だいぶ損傷が激しいです。

ティブルティナ門( Porta Tiburtina )へ到着。
日も落ちてきて暗くなり、場所も滞在ホテルに近いので、初日はここまで。約3時間かかりました。
城壁way2日目
2018年12月29日
2日目は朝8時半頃にスタート。気温は3℃!
まずは昨日のゴール、ティブルティナ門から再開し、線路沿いを進みます。
650m程行くと次の門へ到着。

4大バシリカの1つ「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」へ向かう通りが、ここから伸びているので、「マッジョーレ門」という名前のようです。
ローマ時代は「プラエネスティーナ門(Porta Praenestina)」と呼ばれていたようです…が、ややこしくなるので、これは覚えない。
起源はかなり古く、52年に第4代皇帝クラウディウスが造った水道橋でした。
その後この「アウレリアヌスの城壁」に組み込まれたようです。

この門は2000年近く前のものです。この周辺は、路面電車の線路に囲まれているので、電車に注意!
そしてこの後は、途中しばらく城壁沿いは通れません。
「サンタ・クローチェ・インジェルサレンメ教会」の壁から城壁が復活。
マッジョーレ門から800m、公園を通り抜け、サン・ジョヴァンニ門(Porta San Giovanni)へ到着。
横にあるのが、閉鎖されたアジナリア門(Porta Asinaria )です。

元々あった「アジナリア門」は、アウレリアヌス城壁に造られた門の中では、最も建設当時の姿を保っている門とされています。
1574年に交通量の増大に対応するために「サン・ジョバンニ門」が作られ、「アジナリア門」は閉鎖されたようです。

反対側から。こちら側が城壁外です。ここは4大バシリカの「サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂」に来た時に一度来ています。
世界最小で、国全体が世界遺産という世界唯一の場所が「バチカン市国」です。 バチカン市国内の「サン・ピエトロ大聖堂」と、そ…

前に来た時に、たまたまこのアジナリア門のことを知り、これで城壁を見たことにしていました。
城壁wayを思い立たなければ、ここだけしか見ずに帰国していたかもしれません。
いろいろとつながっているわけです。
さて、これでようやく全体の三分の一くらいです。ここからが面白くなってきます。
次は約1km先のメトロニア門へ。

12世紀頃に閉鎖されたようですが、近代以降に4つの通路が造られて復活。
看板がないと門には見えないただのアーチです。
しかし、位置的にはコロッセオ、カラカラ浴場、サン・ジョヴァンニ駅、ラティーナ門などにつながる交通の要所です。
ここからまた500m程、城壁を離れますが、スーパーマーケットの横から復活。
このスーパーで水を買っておけばよかったと気付くのはこの数時間後…

城壁の解説がある立て看板を発見。時間があれば英語解説をゆっくり読んだのだが…。

メトロニア門から次のラティーナ門までは約1km。城壁らしい城壁が続きます。
ここには犬の散歩をしている人が、たくさんいました。
そして屋外トレーニング施設が!

ここでディップスや腹筋ができるのです。懸垂もありました。
城壁を見ながら筋トレができるので、城壁マニアで筋トレマニアの方は、大喜び間違いなし!
世界遺産の城壁を見ながら、犬の散歩と筋トレができる「ベストスポット・オブ・城壁」がここです。間違いない!

だいぶ小さな門ですが、かなり古そうです。

…ラティーナ門から500mの所にあります。
アウレリアヌス城壁の最大の門がこの「 サン・セバスティアーノ門 」。
最も良い状態で保存されている門でもあります。
有名な アッピア旧街道(Via Appia Antica)とローマ市街の境界 にもあたる場所なので、古代ローマ時代は「アッピア門」と呼ばれていたようです。
その後「アキア門」→「ドミネ・クォ・ヴァディス門」→「サン・セバスティアーノ門」になったようです。
だいぶ変わりました。
この門の内部には「城壁博物館(Museo delle mura)」があります。
最初、 Museo delle mura の看板を見つけた時、こんなところに博物館が?いや、ただの博物館の広告看板だろう?と思い、行きませんでした。
後で調べたら本物の博物館でした…
博物館はこちら
この日はここまでで約2時間。次の門までは約1.3km。全く疲れてないのでそのままGO。

このアーチは近代になって造られたものです。
ローマ時代のアルデアティーナ門の正確な場所は不明です。
ここから数百mの城壁の名前が「アルデアティーナ門通り」なので、このどこかに門があったと思われます。

角の部分に紋章があります。何か謎がありそうですが、そのまま通り過ぎます。
スタート地点のポポロ門からここまで、直線距離でも4kmありました。
正確にはわかりませんが、城壁wayもようやく半分といったところでしょう。

途中で階段を発見。階段を上ると…そこは城壁だった…下りて再び歩きます。
こうした寄り道や調査をしながら歩いているので、相当な時間がかかっています。
そして、アルデアティーナ門から約800m、次の門へ到着です。だいぶ賑やかな所です。

サン・パオロ門は、最も人が多い門だったので、人がいなくなるまでしばらく待ってから撮影。
写真左下のホームレスは、熟睡中?のため動かず。なぜここが人が多いかと言うと…

門の横にある「ピラミッド」に城壁が突き刺さっています。
この「ピラミデ」を撮影する人が多いのです。観光名所です。
紀元前12年に亡くなったローマ法務官「ガイウス・ケスティウス」の墓がこのピラミデです。
このピラミデには、実は2日前に来ています。
「カラカラ浴場」から城壁外の四大バシリカ「サン・パオロ・フォーリ・レムーラ大聖堂」へ行く途中、ここを通りました。
ここで撮影中、 ピラミデの向かいにあるカフェから大音量で「ロッキーのテーマ」が聞こえてきました。
というわけで、ここでブランチ決定!ロッキーが呼んでいる…

サン・パオロ門前のDJカフェ(勝手に命名)。
ABBAやザ・ポリス、ワム!など80年代洋楽ヒットメドレーのオンパレードで、パニーニやコーヒーも美味しくいただけました。
ちゃんと許可を撮って撮影しています。あまり英語は通じず…
ここは最高のDJカフェだったので、城壁way挑戦者の休憩場所としておすすめです!

さて、気分がよくなったところで、「トラステヴェレ地区」の方へ向かいます。川越えです。
次の「ポルテーゼ門」は、テヴェレ川の向こう岸にあるのです。距離は約1.2km。
途中、城壁が他人(会社?)の敷地に入るので、城壁を離れて川沿いを回り込みますが行き止まりでした。
昼間なのに、人気(ひとけ)もなく危険な匂いがしたので、すぐに戻りました。見聞色の覇気はいつでも発動中。
この地域、「テスタッチョ」には巨大市場があり、城壁は1km程ありません。
サン・パオロ門から城壁沿いに行っても途中で消えるので、北上してポルテーゼ門に向かった方が早いです。
この時は西に向かい、先に川を渡ってから北上してポルテーゼ門へ向かいました。川沿いを進むと、なんと城壁が復活…??
しかし、地図上には城壁がありません。偽物のようです。
城壁には偽物もある!
城壁の中に自転車やらバイク用品を売るバラックがあるので、やはり偽物。
偽の城壁もあるのか…門らしきものはなかったが、命名バッタ門!
そしてようやく「ポルテーゼ門」へ到着。これは当然本物です。
朝、ティブルティナ門を出発してから約4時間が経過しています。

1644年に建てられたようです。この2日後、12月30日(日)にもここに来ました。
毎週日曜日に開催の「ポルタ・ポルテーゼ蚤の市」の偵察です。

裏側(市内側)は手抜き工事の如し…そして次の門へ向かいます。
城壁沿いを進むと、トラステヴェレ通りでいったん切れます。その後、城壁と家壁がごちゃまぜになったところから復活。
さらにスラロームの上り坂を進み、階段へ。階段は150段くらいあります。
いや、200段?忘れました…たいしたことはありませんが、すでに10km以上は歩いているのでそれなりに鍛えられます。
昼の1時を過ぎていたので、気温も12℃まで上がってました。
服を1枚脱いで上り坂を進みます。おそらくここが城壁wayで最もきついエリアです。
次の門までは、最短距離で1.4km程ですが、城壁沿いだと2km以上あります。

「サン・パンクラッツィオ門」は、19世紀に起こった戦闘で破壊されたため、1854年に再建されています。
…道理で新しいわけだ。
新しすぎて違和感ありまくりです。元々の門の名前は、「アウレリア門(Porta Aurelia)」だったようです。
アウレリアヌスとは関係あるのか???

反対側も新しい…さて、この後はWikipediaの情報も不完全で怪しいので、大変でした。
次の門の位置は、現存する城壁からだいぶ離れ、「ジャニコロの丘」を東に下ります。


推測ですが、この地域の「アウレリアヌスの城壁」は、いつしか壊され、新たに造り直されたのが、今残っている城壁ではないかと。
これはバチカン市国まで続いています。そしてこの「セプティミアーナ門」だけは、残されたのではないかと思います。
あくまで推測です。詳しくはローマの歴史をもっと勉強せねばわからん、わからん。
あとはローマの学者に任せよう。

このあたりのことが詳しく書いてあるかもしれませんが、まだ読めません…
ここは門だけなので、再びサン・パンクラッツィオ門へ戻ります。往復1.6km。
そしてここの途中でようやく水を売っているお店を発見しました。
朝から何も飲まず5時間以上歩き、途中DJカフェでコーヒーを飲んだだけでした。
飲み物を売っている店はどこにでもあるだろうと思ったら、意外と店はなかったのです。
※城壁wayの注意点:飲み物を忘れずに!
冬だったからよかったものの、夏なら危なかったかもしれません。
そう、コンビニや自動販売機がそこらじゅうにある国は、たぶん地球上で日本だけです。
そしてサン・パンクラッツィオ門から再出発しましたが、城壁を見失います。そのままジャニコロの丘へ。
展望台では20人くらいのシスターが、ほぼ全員パニーニを食べていました。別名、パニーニの丘だな…

ジャニコロの丘…ここも観光スポットなので人が多いです。ジャコロニではなく、ジャニコロ。
偉人の像がいっぱいあります。
消えた城壁
ジャニコロの丘までで約6時間、トータル16km歩いていますが、そのまま2km先の「バチカン市国」まで行きました。
しかし、地図上にある城壁が途中で消え、バチカンにはつながっていたので、釈然とせず、バチカンからまた2km引き返すことに。
ここまで来たら、うやむやにして帰りたくはない。このバカチンが〜と武●鉄矢に怒られる…
三たび「サン・パンクラッツィオ門」へ。ひたすらあちこち歩いてようやく謎が解けました。
ここから「ジャニコロ通り」を通ってバチカンまで行ったのですが、バチカンからは「フォルチナ通り」を通って戻って来ました。
このフォルチナ通りにも、城壁はありませんでした。
城壁は、その間にある「ムーラ・アウレリエ通り」沿いだったのです。
最初は城壁沿いにムーラ・アウレリエ通りの途中まで行ったのですが、城壁が別の建物と交わり行き止まりに見えたので、ジャニコロ通りに道を変えました。

この 「ムーラ・アウレリエ通り」 を右に行っていれば、余計に4kmも歩くことはなかったのです。
しかし、この時は行き止まりに見えてしまい、道を変えてしまいました。
読んでも意味がわからないと思います。詳しくは、GoogleMapで!

城壁をずっと歩いてきて、最後に城壁が消えて落ち込みましたが、何kmも余計に歩き、再び見つけた時には、やはり言い知れぬ感動がありました。
最初に歩いた「ジャニコロの丘」は、この城壁の上にあり、城壁の上を歩きながら城壁を探しても見つかるはずがありません。

そして歩いて行くと、城壁の上に家が!
もはや何でもありです。「城壁ハウス」と名付けよう…城壁マニアが住んでいるはずだ。
フィナーレ(Finale)
さて、この「城壁way」、スタート地点は「ポポロ門」と決まってましたが、ゴールは決まっていませんでした。
多分イタリア人にもわからないでしょう。
…というわけで、バチカンに着いたら終わりということに致しました。

バチカン市国手前のアーチ。どう見ても新しいものですが、ゴールにしておきましょう。
バチカン市国を囲んでいる城壁につながるので、バチカンの歴史と照らし合わせると、もっと真相がわかるかもしれません。
アウレリアヌスの城壁…その歴史は約2000年!
このままバチカンを城壁沿いに歩き、「サンタンジェロ城」まで行くと、ポポロ門まで約1kmの所まで来ます。
さすがに8時間近く歩いているので、それはやめて地下鉄で帰りました。
これにて城壁way終了。
そして、世界遺産「ローマの歴史地区」の構成資産7件コンプリートです。
1つの世界遺産に約2週間かかったのです。
滞在は残り1日。やはりスケジュールの組み方が正しかったようです。
終わった16時半頃に、サン・ピエトロ広場を通ると、大聖堂の入り口に数百人の列が…!?
早朝に来れば、たいして並ばずに入れるのだが…
世界最小で、国全体が世界遺産という世界唯一の場所が「バチカン市国」です。 バチカン市国内の「サン・ピエトロ大聖堂」と、そ…
日本一わかりやすいかは不明ですが、「アウレリアヌスの城壁巡り」をやってみたい方には、多少参考になると思います。
ここは20kmくらいです。足腰に自信がある人は、頑張れば多分行けるでしょう。
世界一の城壁は、なんと言っても中国の誇る世界遺産「万里の長城 」!
万里の長城は、巨大すぎて正確な距離はわかりません。
総延長距離は6000kmとも1万kmとも言われています。さすがにここを全部歩くのは…
「アイアンマン」のような装備があれば、空から見て回れるものだが…
そう、I am World Heritage Man !
迷わず行けよ、行けばわかるさ、世界遺産…今回はだいぶ迷ったが…